『嬢王』『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』

嬢王


評価がかなり高くて期待していた『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を見ました。うーん、いかん。ぜんぜんよさがわかりませんでした。


この映画は人によってテーマ的に相反する2つの見方があるのではないでしょうか。ひとつは、ヒット映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の「昔はよかった」「自分たちの歩んできた人生は正しかった」的な過去の肯定。もうひとつは「過去ばっかり振り返ってノスタルジってんじゃねー」「過去より大切なのは今この瞬間をどう生きるかでしょ」的な過去の否定。


無理矢理この2つを合成すれば「昔を懐かしむのもいいけど、でも大切なのは自分たちの今と自分たちが死んでから子供たちが築く未来でしょ」ということか。でも、この映画がいいと言っている人の多くは、過去肯定派のような気がしますがどうなんでしょうか。途中のお父さんの回想シーン(上京して就職して結婚して子供ができて、平凡だけど平凡こそが人間の幸せなんだ、みたいな部分)でウルウルした人も多いのでは。


個人的には、平凡こそ幸せという物言いはある種の国家レベルの洗脳のように思えてならんのです。多くの人が平凡を嫌って生きようとすると、一定の秩序を保って安定的に教育・労働(=生産)・税の徴収ができなくなるから、国家としては当然よろしくない状態なわけで。早い話、世の中みんな「みうらじゅん」だと日本は滅びるわけです。


もともと(義務)教育自体が、平凡肯定人間(=平凡を受け入れて社会や会社のために秩序を持って働く人)製造器なので、自分も含めてそういう人間になってしまうのはある程度は仕方ないことだとは思うのですが、もうちょっとそういうことに一人ひとりが自覚的であってもいいんじゃないかと思います。このあたりのことは鶴見済『檻のなかのダンス』にわかりやすく書いてあります。


クレシンの期待度とは全く逆に、ぜんぜん期待せずにとりあえず録画しておいた『嬢王』は、コミック原作のドラマ化のおかげでストーリーがしっかりしてるせいか面白かったなあ。役者の上手下手はとりあえず置いといて。最後、つぎはQ−1グランプリだーって言ってたけど、主催者キャバクラオーナーと主人公キャバ嬢が付き合うことになったら、身内の大会に出にくいんじゃないのかなと思いました。




檻のなかのダンス

檻のなかのダンス