ランキング頼りの人生に疲れた
遠かったですが初めて銀座のキルフェボンに行ってきました。フルーツタルトの有名店です。たまにはおいしいものでも食べようかと思って。食べログで検索したら、銀座付近の食べ物屋すべての中で人気ランキング1位だったから間違いなかろうと。
そして結果は、まず(アルバイトの?)店員さんの対応が、ちょっと変でした。レジ付近での予約の対応とか案内とか。特に自分はクレーマー体質&がんこオヤジ体質でもないのですが、一緒に行った人も同じような事を言ってました。たまたまそういう店員さんだったのか?
肝心の味は、、、そもそも食べたいタルトを頼んだら「それは売り切れです」「あ、それも売れきれです」と。並んでるときに言ってほしかった。キルフェボンではそういうのが常識で、お客のほうも早く行かないと売り切れというのは常識としてわかってるということなんでしょうか。
たとえば、田舎からキルフェボンが楽しみでそのためだけに銀座まで来た人が、やっと憧れのタルトを食べられると思ったら注文のときになって「売り切れです」って、それって東京残酷物語なんじゃないでしょうか。
そんなわけで、仕方なく決めたいちごタルトという選択が微妙だったのか、これが銀座中の食べ物屋でナンバーワンの味か・・・どこがやねん!と物思いにふける午後7時。一緒に行った人も、そんな自分の表情を読み取って「タ、タルトはしょせんタルトだからね。それがタルトの限界だよ。ピエールマルコリーニのパフェのほうが美味しいかもよ」と言ってました。
気が付けば、自分の毎日がいかにランキング漬けであることよ。何か食べに行くときは食べログランキング、本を選ぶときはamazonベストセラーランキング、モノを買うときは楽天人気商品ランキング、映画を見るときはYahoo!映画ユーザーレビューランキング、ネットの記事を読むときは、はてなブックマーク人気エントリーランキング。いいのかなあ、こんなことで。
もっと若い時はこんなんじゃなかった。何でも自分の本能で選んでた気がする。就職してからはとにかく時間がないから、ランキングで選ぶしかなくなった。それって、就職で人事の人が学歴の高い人をとりあえず採用するのに似てると思いました。
要は確率の問題。東大卒を採用しておけば仕事ができる「確率が高い」。人間も食べ物も買い物もランキング上位を選んでおけば、当たりの「確率が高い」。でもそんなのはただの確率であることは誰もがよくわかっている。ランキング頼りの生活をしてると自分の脳が思考停止に陥ってるのがよくわかる。ランキングに従っておけば楽だし。
でもしょせんランキングって多数決なわけだし、多数決がつねに正義だなんてありえない。みんなの評価が高くても面白くないと感じるものはいっぱいあるし、その逆もいっぱい。これからもランキング頼りの人生なのかなあ。カンだけを頼りに、おいしい店探ししてる時間ないし、昔みたいに一日中、大型書店や中央図書館でぶらぶらする時間もないし。
だから、若い人は若いうちに、時間のあるうちに、ランキングという名のビッグブラザーに操られる人生じゃなくて、誰かが褒めたからじゃなくて、自分がいいと思えるものを選ぶ本能を鍛えておいたほうがいいと思います。村上春樹さんの「1Q84」はランキング関係なしで発売日に買いましたけどね。
注意して
初めて親子関係をテーマにした作品
村上の小説は「ソーマ」のようなものだろう
一言では到底語れない
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