『こんな日本でよかったね 構造主義的日本』内田樹、朝日新聞の言葉のチカラのCM
ときどき「自分の言いたいこと、思ってたことがそのまま書いてある!」というケースがありますが、内田樹(うちだたつる)先生の本を読んだとき、なぜかそう思うことが多い。あとは、オタキング岡田斗司夫さんの本を読んだときなど。
というわけで『こんな日本でよかったね 構造主義的日本』の前書きを読んで、またそうそうと思ってしまった。でも、第一章の最初のお題『「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在しはじめる」』はそうそうと思ったけど、朝日新聞の広告コピーについて書かれた第一章の二番目のお題『言葉の力』の部分は、そこまでそうそうとは思わなかった。
内田先生はそこで、ちょっと前の朝日新聞のテレビCMのコピー
「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」
を取り上げて、最初このコピーを聞いた(見た?)とき鳥肌が立った、のようなことを書いていた。もちろん良くない意味で。言葉のことをちょっとでも深く考えたことのある人間なら、こんなコピーは書けるはずないと。
コラムニストの小田嶋隆さんも、このコピーについてコラムを書いていたようで、それが引用してある。小田嶋さんが言ってるのは、どうして「言葉の力」じゃなくて「言葉のチカラ」なのか、それはコピーライターが言葉の力に対して斜に構えていたり、言葉の力と堂々と言えず照れてるからなんじゃないの?ということ。
さらに、「感情的で、残酷で、ときに無力」なもの簡単に信じていいの?言葉にはそういう短所もある一方、こういう長所もあってだからこそ信じる、というふうに長所を具体的に書かないのは言葉を盲信してるだけなんじゃ?のようなことを書いていて、内田先生もその意見に賛成している。
確かに、コピー作法には変な伝統みたいなのがあって、こういうときの「力」って「チカラ」と書いてしまう傾向がある。もちろん、斜に構えたり照れてるわけではなくて、いろいろ理由はあるけどその一つとして視聴者に対してその部分に違和感を出して注目してもらう目的なのだけど。
それから、「感情的で、残酷で、ときに無力」って、言葉の短所だけ出さずに長所も出さないと説得力がないという点は、それはたぶんこのコピーライター的には、「(みなさんが日ごろ感じてるように人間にとって言葉はとても大切で、言葉の力って大きなものですが、その反面、改めて考えてみたら言葉って)感情的で、残酷で、ときに無力ですよね」というふうに、カッコの部分はあえて言わなくてもCMを見てる人に伝わると判断したのではなかろうか。カッコの部分は言わなくてもそれくらいみんなわかるよね、というのはコピーライターの傲慢さなんでしょうか。
それから、内田先生は後半部分で、まあしょせんコピーライターなんてものは言葉を生業にしてるくせにラカンの『エクリ』もウィトゲンシュタインの『論理哲学論』(『論理哲学論考』の間違い??)も読んだことないでしょ、まあ読んでなくてもいいんだけどね。みたいなことを遠まわしにおっしゃっている。
まあ確かに今までのコピーライター人生で、一緒に仕事したコピーライターやクリエイティブディレクターの口から「ラカン」とか「ウィトゲンシュタイン」とか「ソシュール」とかの単語が出た記憶はない。読んでるけどわざわざ人に言わないって人も少しはいるだろうけど。
しかし、ラカンが書いていることはすこしでも集中的に言語を書き連ねた経験のあるものなら直感的に知っていてよいことである。「私は私が書いている言葉の主人公ではない。むしろ言葉が私の主人なのだ。」「言葉の力」とはそれを思い知る経験のことである。早熟の書き手なら十代でそれを経験する
私が・・・いいたかったのは、「日本語話者として私たちは自由に日本語を運用できており、それを用いて自由に感情を吐露したり、人を傷つけたりできているし、ときどき現実をすこしだけ変革することもできている」という道具的・カタログ的言語観と決別すべき時が来ているのではないか・・・「言葉の力を恐れる」というのはそのときに私たちが取るべき立ち位置である。それは朝日新聞がいうような「言葉のチカラを信じる」構えの対極にある。
でも個人的にもラカンは難しすぎて読む気にならないなあ。このエントリーを偶然読んでいただいた広告関係の方も、真っ白な状態からいきなりラカンだのウィトゲンシュタインだのは、かなり難しいと思います。『論理哲学論考』なんて、たぶん「なにこれ?」状態かと。わかったようなわからないような短文に番号が振られてそれがひたすら並んでるだけだし。(でも、難解さを超越してなんかカッコいいなと感じる人もいるかも。)それならいきなり『論理哲学論考』よりは、野矢茂樹さんの『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』のほうが圧倒的にとっつきやすいです。
コピーライターに一番必要なのは、一般消費者と価値観を共有できる常識の感覚と言われるので、あまり大学の先生レベルまで賢くなってしまうと市井の人々に共感してもらえるメッセージを考えられなくなるかもしれないので、そのあたりのバランスはなかなか難しい。自分はもともとそこまで賢くなれないですけど。
思考宇宙のそのはてに
哲学初心者にこそ読まれるべき本
「問題はその本質において最終的に解決された」
難しすぎました。
時を忘れて読み込んでしまいました
是非、『論考』を感じたい方へ。
『論考』への最良の誘い
これだけわくわくする書物にもめったにはお目にかかれない