人間の社会は常にいい方向に向かってる(「日本人の品格」フジテレビ)

たけし、爆笑問題久米宏石原慎太郎など出演の「秋の教育スペシャル!たけしの日本教育白書楽しくマジメに生放送「1億3000万の国民と考える日本人の品格…いじめ自殺・学級崩壊崩れゆく日本の教育…たけしが…爆笑問題が熱く語る日本の未来」 」を見ました。他のことしながら片手間で。それを見ながら思ったこと、思い出したこと。


ふだんよく思ってるのですが、人間の社会って常にいい方向に進化し続けてるんじゃないか、ということ。「いい方向」とは何かという定義の問題になりますが、「いい方向」というのが楽観的すぎるなら「人間の本来あるべき姿」とか「人類がポテンシャルとして持ってる人類の最終形、到達点」とかをすべて含む概念と言ってもいいかもしれません。


人間て類人猿からずっと今まで進化してきて、古代の社会とか中世とか近代とかを経て、現在に至ってるわけですけど、やっぱり、古代より中世、中世より近代、近代より・・・って、今がいちばん「人間の本来の姿」(哲学者なら何かネーミングするところですが。というか、すでにこれの意味する言葉がある?)、なんじゃないのかなと思うのですが、どうなんでしょうか。そして、それは未来に向かってさらに進化している。


たとえば、原始共同社会みたいなのって、一見、「人間本来の姿」みたいな言い方はできるかもしれませんが、「人類のポテンシャルの最高形態」とは、どう考えても言えない。封建制なんて、君主の都合のいいように階級を分けて統治しただけなので、どう考えても人類全体の最高形態じゃない。封建制が崩れて近代的自我の確立(同じようなことを昔のブログに書いて、今でもgoogleで引っかかった)みたいなのになって民主主義になって、さらにポストモダンになってみたいな、そういう流れって、結局、人類のポテンシャルを引き出す方向への進化だと思うのですが。


で、この番組。この番組でも、「昔はよかった」的な紋切り論(というかこのテレビ企画の元になってる『国家の品格』が「昔はよかった」論そのものなんですが)の悪臭がプンプン漂っていた。ポストモダンのあとのナショナリズムへの回帰、ネオナショナリズムみたいなのって、人類の一時的な退行現象、手探り状態みたいなもので、またすぐ前向きな進化、つぎのステップに移るような気がする。


それが、ネグリ=ハートの言ってるマルチチュードみたいなことなのか、マクルーハンの言ってたグローバルヴィレッジみたいなことなのか、その両方なのかは、難しくてよくわかりません。


要するに何が言いたいのかと言うと、ちょっと時代が停滞するとすぐ「このままで日本は(世界は)いいのか」「昔はよかった」「あのころの日本人の心に帰れ」とか言う風が吹きますが、人類の進化は止まらないし、過去にも戻らないし、それは運命論的なことで言ってるのではなくて、今までの人類の道のりを見てそうじゃないのかなあ。その進化の結果、変な世の中、世界になったとしても、それが「人間本来の姿」なんじゃないのかなあ。


日本に限って言えばこれから急激に人口が減っていって労働力減、税収減、老人増などで、今が日本の国力のピークなのは確かでいいタイミングで自分は生まれたと思いますが、あとはじわじわと下り坂のはずで、これからどうなるのかなというのはあります。


適当な部分が多いので専門家の人が読んだら笑われるかもしれませんが、そんなことを考えました。



国家の品格 (新潮新書)

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武士道 (岩波文庫 青118-1)

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菊と刀 (講談社学術文庫)

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<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

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マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)

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帝国主義 (岩波文庫)

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民族とナショナリズム

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マクルーハン理論 (平凡社ライブラリー)

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